できない自分。

そうか、LegalACが始まっているのね。

今年は、法務以外のPJに手を挙げてしまい、9月から怒涛の日々が始まっています。いつもなら興味深く読む各エントリも、時々眺めるしかできておりません。現在進行形のPJ、主に事業部門を対象としたPJでしたが、「できない自分と向き合う」を自らのテーマに、経営というものにかすってみようと思ったのであります。

 

20年も同じ会社でほぼ法務一筋で働いてくると、社内で起きる大体のことは対処できるようになってしまいます。それは、決して「仕事ができる人」になったということではなく。できる仕事とできない仕事を何となく見極める嗅覚が発達し、できない仕事から離れる術を覚えてしまった故かもしれません。

 

地方に暮らす身として、ひとつ強く思っていることは、娘ーズが18歳になれば親元を離れていく、その後ろ姿に心の底からエールを送りたい。その日があと数年に迫っている中で、いくつになってもチャレンジすることや学ぶことに四苦八苦する不格好な姿を見せておきたいし、たとえ娘と離れていても気持ちだけは伴走できる自分でいたい。

 

PJが始まってみると、わかった気になっていた自社の商品や販売網について何も知らないということに愕然とし、したり顔で事業部にアドバイスらしきことをしていた自分が恥ずかしくなる感覚に襲われます。経営を考えるとき、法務的な観点はほとんど出てこないし、今のところ、これまでのキャリアは何ら役に立たない。

法務として会計や税務などの周辺領域も多少わかっておかないとね、、と浅く勉強していたときと異なり、具体的なケースを前提に、短納期で財務諸表を読んで言語化することを繰り返してはじめて、財務諸表の意味や使い方がおぼろげに見えてきました。取締役会で何となく数字を眺めていた自分にグーパンチな気分です。

PJはまだまだ続くので、この後に法務での経験が何らか役に立つのかもしれません。そして、法務全般が役に立たないというわけではなく、あくまでも、「私のキャリア」が有効ではない、というだけです。

 

 

でも、もし、今のところ、少しだけ役に立っているかもしれないということがあるならば…

  • 「書く」ことが圧倒的に必要。

戦略は、それを組織内に伝え、受け手に真に伝わってこそ意味がある。とするならば、まずは抽象的な思考を言語に変換すること、その上で受け手に理解可能な表現に再度変換する必要がある。ロジカルである必要がありつつ、ロジカルだけでは感情を動かさない。

正しく文章を作成することは、法務の業務の根幹でもある。そして、法的な正しさだけでなく、「法務がそういうなら、じゃあ、やろう」と思ってもらえるように変換することに、いつも気を使っていると思う。この”言語を扱う”ということは、経営において非常に重要な要素だと、今のところ思う。

 

  • いつも「疑う」姿勢が効く。

答のない、経営や事業を考えるとき。チーム全体が高揚して一定の方向に走る瞬間がある。「本当にそうなのか?」「見落としていることはないのか?」「この違和感は何だ?」

この思考は、事業部からの相談を受けるとき、いつも立てているアンテナ。場の空気をあえて読まずに、チームの議論の軌道を変えることは時に重要だと思う。

 

 

法務はピッチ外から声をかける存在だと思われがち。今は、ピッチで活躍はできないけど球拾いくらいは役に立っている感じです。

PJの夜中mtg.中に「あ、Caracalさんって法務だったね、忘れていたよ。」と言われたとき、初めて「中の人」に近づいた気がしました。「法務じゃない」、今は最高の賛辞です。

 

 

法務が目指すべきは「法務をバックグラウンドにもったビジネスマン」だとよく言われますが、今はイメージではなく、リアルにそこを目指しております。

離脱勧告ありのPJなので、勧告を受けないように今日もひとり夜中学びタイム。課題もかなりハードで夜中帰宅も続いておりますが、受験生のようで、働き始めてから一番楽しい。これを、単なる楽しさではなく、具体的な価値に変えたい。

 

さて、学ぶとします。