「一生懸命の質と量」

今期こそ、教育のしくみを提案しようと調べていたら、こんな記事に出会いました。
http://www.sabcd.com/04iitai/58iitai.htm#36

一生懸命の質と量  
何かをしようとするとき、例えば仕事をしようとするとき、人はみんな一生懸命になる。普通の人はみんな一生懸命になる。しかし、その一生懸命には質と量でそれぞれレベルがあるように思う。
何かしようとするとき、そのときだけ一生懸命に汗を書く人と事前に計画を練って手を打つ人。そのときだけ一生懸命にやって自分では頑張ったと思う人と、本当はこれじゃダメだなと思う人。このような一生懸命の格差を一生懸命の質と定義しよう。
一生懸命の質が高いのは、やるべきことが決まったとき、あるいは決まっていないがある程度想定して、事前準備をしている程度のことをいい、質が低いのは、直面するまで何も準備しないで、そのときになって慌てて頑張る程度ではないだろうか。そのときなっても頑張らないのは論外。
入学試験に例えれば、試験日がわかっているのに当日まで何も準備しないで、試験当日だけ張り切るタイプをいうのでしょう。
一生懸命の量とは、一生懸命の持続時間と想定する。1時間一生懸命して「ヤッター」と思う人もいれば、3時間一生懸命しても「まだまだ」と思う人もいる。そしてそれぞれが、それが普通と思っているから厄介である。レベルが低いことが自覚できれば、改善できるのだろうが、自覚できないから、それでいいと思っている、厄介なことである。

この一生懸命の質と量は本人の価値観であり若いときの生い立ちで決まっているようだから、特別のことがないかぎりそう簡単に変わりそうにない。一生懸命の質と量が同程度の人と仕事をしているとあるいは生活していると快適であるが、自分より低い人と仕事をしていると、イライラしてストレスが積もる。


こんなときどうすればいいのだろう。
 1.ストレスに耐えれるように自分を鍛える。
 2.自分より低い人とは一緒に仕事しない。
 3.一生懸命の質と量を高めるように、色々働きかける。
どれが一番いいのでしょう。

誰かが、「そんなことを言っているおまえこそがレベルが低いんだ」と言っていそうだ。


まさに、この数日の私のイライラの原因。
「この一生懸命の質と量は本人の価値観であり若いときの生い立ちで決まっているようだから、特別のことがないかぎりそう簡単に変わりそうにない。」というところ、今は非常に首肯してしまう。
もちろん、自分が高いわけではない。外部の、それこそ質も量もハイレベルな方々と接していると自分は地を這っているレベル。もっと、もっと!と日々感じている*1


「こんなとき…」について、自身は長年の3.をあきらめて2.を選択した。これでよかったのか。
でも、立ち向かうだけがアプローチではない、と今は思っている。

*1:それを他人にまで求めてはいけないのだろうが。社会人になって初めての上司からもそこが課題だとずっと言われていた。